月別: 2016年12月

マザーガイアからの便り・予告編vol.10

マザーガイアからの便り・予告編vol.10

2016.12.10 マザーガイアからの便り・予告編vol.10

縄文・人と動物との関係 (後編)

 

菊地:前回vol.9のつづき部分より、お届けいたします。

以下、カンナ・カムイさんのお話です。

************

当時の自然界、山の生態系を担っていたのは、熊ともうひとつの存在があります。

それは、現代では、オオカミと呼ばれる存在です。山の神さま、山の使いとして我々部族は、それらの動物を敬いながら、尊敬の念を持って接しておりましたことは事実です。

少しお待ちください。その時の状況、状態を思い出しながら少し回想いたしますので、30秒ほどお時間をください・・・


印象深い我々部族の物語で、このようなことがありました。
我々が山で食べ物を採取するため、木の実や、小さな小動物を探し求めて集めていた、ちょうど初夏の季節に入った頃の出来事でした。

 その山の大きな岩場の陰に、なにやら小さな幼い動物を発見しました。その傍らには、今でいうオオカミの亡き骸がありました。多分、熊か何かと鉢合わせし、子を守ろうとして戦ったのでしょう。

母親のオオカミは、その子を守るべく、熊と戦いを交え、どうやら命尽きたようです。そしてその幼いオオカミは、今の年齢で言えば約4~5か月くらいだと思います。ある意味、少し大きくなった子オオカミです。

我々は、母を失ったその子オオカミを不憫に思い、呼び寄せ、そのオオカミも呼び寄せられ、我々の足元に寄ってきて・・・本当にこれは珍しいことでした。

 オオカミといえども、イヌ科といえども、野生の動物が人間に近づいてくることはまずありません。当時我々は、イヌという動物を飼っておりませんでした。イヌという認識もありません。ああ、オオカミなのだ・・・そう認識しておりました。

当時は、我々と自然界の動物との間には、その暮らしにはっきりとした境界線があり、とにかく我々がその動物たちの営みに干渉することはなかったのです。

 それは、ちょうどわたしが神官として、今の人間の年齢的には35歳になる時期でした。本当にめずらしい、野生に生きるオオカミの生態を再確認したのです。

その子オオカミが、我々部族の子どもの足元にやって来て、このような表現というか・・・なんと、その子オオカミは、我々部族の子どもの前に座りながら、クンクン、クンクン、と鼻を鳴らしながら、しだいに寝ころび、お腹を見せたのです。

 これは服従する・・・といったポーズなのだ、ということを我々は理解して、その子オオカミを連れて帰ろう、ということになりました。それが現代で言われる、人間とオオカミ・・・のちのイヌとの交流の始まりだったと思います。

話を事細かく、詳細に話すのではなく、印象深いことだけを話してまいります。我々の集落に連れて帰り、その子オオカミはまるで我々を親のように頼り、そして我々もいつしか、その子オオカミを、かわいいというか・・・

オオカミという生態、習性を知らなかったため、最初は戸惑いながら、お互いに向かい合っていましたが、そのうち本当に不思議なもので、交流が出来るようになったのです。

 そしてやがて持ち前のわたしが持っている、自然界と繋がる霊的な感覚を使って、その子オオカミとの交流を意図して始めるようになりました。ここからが、現代でも過去でも、見えない世界、そして神さまの領域の話になってまいります。

何度かわたしは、自然の神さまと交流する意識をもち、その子オオカミと交流を試してみました。すると、このようなことがありました。

そのオオカミといわれる集合意識体を司っているスピリットと、繋がることが可能になりました。その情報をこれからお話ししてみようと思います。

 そのスピリットは、本当に我々にあらゆる道理を教えてくれた大いなる存在とは、少しまかり違っていました。我々からすれば、荒々しいような感情を持ち、そして深い静寂のような佇まいを私は感じ、そのスピリットに質問を投げかけたことがありました。

この動物は我々と行動を共にして、本当によろしいのか、あえて自然に、山に返すことをしなくてよいのか、ということを聞いてみました。では、その時の答えをリアルに、お答えいたします。

 このオオカミとされる、我々人間と交流できる動物は、今後これから生涯・・・この生涯というのは長い年月のことを意味差します。

本当に、心と心で繋がり、魂レベルで繋がって信頼しあうことが可能になってくる。現在は自然の中で生きている動物であるが、本来は我々人間のパートナーとなりえる存在であるのだ、ということを伝えてまいりました。

 私はその時のその言葉を初めて聞いたとき、躊躇しました。なぜかといいますと当時、我々の認識として、野生動物と暮らすという事は、なにか罪深いような・・・我々と違う種の存在と暮らすというのは、何やら違和感がありました。

その違和感というのは、現代の言葉で現すとすれば非常に難しいので、今はお答えすることを差し控えておきます。

そのオオカミが大きくなり、命が尽きるまで、我々と一緒に暮らしていったこと、先ほどお伝えした、オオカミを司る自然の神さまの言葉を我々は受け取ったこと・・・

これは一度だけでしたが、当時、野生動物との関わりとして、印象深い出来事でした。

 そして、現代の年齢で申せば、その子オオカミは、約7歳まで生きて、命尽きた時、我々も本当に心をひとつにして、その亡き骸を丁寧に、重に葬った記憶があります。

 我々と野生動物との初めての絆をご紹介させていただきました。何か、質問などがありましたら、どうぞ何なりとお聞かせください。

 

質問・菊地:イヌのような存在はまだ、カンナさんの頃にはいなかったのですね。

 

それは、我々の子孫の代になってまいります。我々は、こから、オオカミと交流を深めていくということはありませんでした。その後、オオカミもなにやら性質が変わっていったというか・・・一つここで、オオカミという存在に誤解がないようにお伝えします。

 決して、荒々しい性質ではなく、秩序を持った、オオカミの生態があります。オオカミと言えば、現在の大きなオオカミに印象付けられますけれども、我々のいうオオカミとは、ニホンオオカミのもと、となったような存在です。

 ちょうど大きさで言えば、現在の体重で15~16キロ程度、中型のイヌ程度になります。

 

 我々から、100年、200年後・・・の時代になると思われますが、オオカミとの交流が始まり、オオカミが我々と一緒に狩りをするといった物語が起こったことは我々の知る事実です。ネイティブスピリットによる自然界通信として、我々の部族の体験に基づいた内容から、現代に生きる方々にメッセージをお伝えすることを使命としております。

そして、このことを最後にお伝えしたいと思います。

現在でも、イヌとノ交流が本当に得意な方、またはそうではない方・・・すべての現代に生きる方々へのメッセージでございます。我々はひとつに言葉をまとめます。

イヌという種族は、わたしたち人間の魂レベルで理解することが可能であり、一心一体に溶けあうことが可能な魂を、持ち合わせている存在です。

 そして悲しいことにいま現在、イヌだからという理由で、強制的に命を絶たれることがあります。。

本当に深く交流でき、我々人間とおおよそ代わりのない豊かな感情を持ち合わせた、真のパートナーになり得る存在に対しての現代の境遇を見て、感じて、涙を流しております。

 

そして、このことをお伝えいたします。山の守り神であるオオカミ。

その血を引いたイヌ達は、その性質が強く、人間の深い魂レベルまで共鳴しながら、彼らは、我々人間を、こころと魂で支え、そして我々もその支えに答えて、お互いが幸せになるべく、共に生きる存在です。

彼らとわたしたち人間は、深くつながり支えあえる魂を持ち合わせています。どうぞ少しでもこのことに関して、いま置かれている、彼らの環境を改善なさってください。我々からの願いです。

 山の神さまと認識されていたオオカミは、崇高な魂をもち、そして我々にあらゆることを教えてくれました。その子孫であるイヌと呼ばれる存在。高貴な魂を持ち合わせ、我々のあたたかい心、そして、善き魂にたえず働きかけ続けます。

このことは永遠、これからもずっと変わらない、ひとつの真実です。質問がなければ本日は、これをくくりとして、終了いたします。ありがとうございました。

マザーガイアからの便り・予告編vol.9

マザーガイアからの便り・予告編vol.9

2016.12.3 マザーガイアからの便り・予告編vol.9

縄文・人と動物との関係 (前編)

カンナ・カムイです。

今回も、わたし達が暮らしていた頃の話(約6000年前の縄文時代)、そして現在にも繋がっている物語を、ここにお伝えしてまいります。伝え手は、わたくしカンナ・カムイです。

本日もよろしくお願いいたします。それでは今回のテーマをいただきましょう。

 

質問・菊地:今日は人と動物とのつながりをテーマに、お話をうかがいたいと思っていました。

自然界において動物の存在は大きく、欠かせないものだと理解しています。昨今では、人と動物の関係にまつわる研究の進歩、そしてわたしたちの温かい理解も深まっているのを感じます。

縄文のどの時期かは不明ですが、犬を丁寧に埋葬していたと歴史にまつわる近代の記録で読んだことがあります。カンナさんの頃、人と共に暮らしていた動物としての犬の話もぜひ聞かせていただければと思います。

はい。我々は、かの北東北の地で生きていた頃の自然の中の動物、そして我々と交流していた動物。この二つの視点から本日は進めてまいりたいと思います。

 動物と我々部族との関わりとして、まず、今から約6000年前の話から始めたいと思います。我々部族は、以前も伝えていましたように、小動物、時には大きな鹿のような動物を、狩りをして食べておりました。

 その中で毎年1~2回程度、起こることがありました。我々の時代でもつい誤ってしまい、母親の動物を仕留めてしまったことがありました。その仕留めた母親の動物の傍らには、幼い動物、鹿で言えば小さな赤ちゃんの鹿、ウサギで言えば、子ウサギがおりました。

 そのような我々の狩りによって母親を亡くした、幼い動物との当時の関わり方をまずお伝えしたいと思います。

 

現実に起こっていた出来事ですので、メルヘンのような話ではないのです。これまでにもお伝えしましたように、我々の時代、確かに殺めて動物を食べることがありました。その中で我々の態度、精神としては、その仕留めた動物に対して礼をつくしておりました。

そしてその傍らに、幼い動物がいる時はいつも不憫に思い、我々の役目として多くは幼子が大きくなるまで、面倒をみておりました。

 または乳飲み子であれば、大切に育てながら、その命がそれ以後つながるか、つながらないか・・・それはすべて自然の中の神さまに委ねておりました。ここで印象深い話を一つ紹介いたします。

 あの時は、鹿の子でしたか・・・我々がその母鹿を仕留めて食しながらも、我々を頼りにしてついて来たのです。我々部族の子ども達も、よくその小鹿の遊び相手になり、そして小鹿も我々部族に懐いた、ということがありました。

 野生動物ゆえに、幼い頃に懐いても、大きくなれば野生の本能のようなものがあり、だんだん疎遠になって行きますが・・・

 それでは、我々の部族の頃の現代にもつながるお話で、ここから更に神話ではない馴染み深い内容に移ってまいります。当時の自然界、山の生態系を担っていたのは、熊ともうひとつの存在があります。それは、現代では、オオカミと呼ばれる存在です。

 山の神さま、山の使いとして我々部族は、それらの動物を敬いながら、尊敬の念を持って接しておりましたことは事実です。少しお待ちください。その時の状況、状態を思い出しながら少し回想いたしますので、30秒ほどお時間をください。・・・(以下、次週の後編に続きます)