マザーガイアからの便り・予告編vol.6

マザーガイアからの便り・予告編vol.6

 

2016.11.12 マザーガイアからの便り・予告編vol.6

「縄文(その1)」

わたくし、カンナ・カムイが暮らしていた頃、自分たちのことを、蝦夷(エミシ)ですとか、縄文、などとは分からず、後世の方々が伝えたことであって、今回のお話の中で、エミシや縄文という言葉は、出て来ることはないでしょうから、まずその事を先にお伝えしておきます。

 当時は、本当に厳しい自然環境の中、日々生きるために命がけの生活習慣の中で、ほんの少し楽しみがある、といった毎日でした。何から申せばいいのか・・・少し沈黙がありますがお待ちください。(約1分の沈黙)

それでは、印象深い出来事を一つ、ここでお伝えしましょう。

 当時は、軽装、軽い装備ということですね、現代に置き換えると・・・そういった装備で山に入って行ってもあまり、動物と鉢合わせになって争う、という事はありませんでした。

それはなぜかというと、当時は我々の部族の中でも、自分達も動物達も自然の一部だと多くの人間が認識していたため、人間以外の存在とも意識が通じやすい状態にありました。

意識が通じ合っている状態では、我々が行くような所に、現代で言われるイノシシのような大型の動物ですとか、熊のような動物と、ほぼ鉢合わせするということはないのです。

 それはなぜかと言うと、「我々は、これから山に入ります」ということで、山全体にご挨拶をする。そして、不要な鉢合わせや、争いがないように・・・ということを、意図しながら山に入りますので、事故や鉢合わせのようなことはあまり起こりませんでした。

それでも、この時間軸でいいますと、たまに年に2~3回はそういった出来事があり、悲しい結果になったことも、実際にあります。

 

 

そうですね・・・現代の人達からすれば、動物と心を通わせる・・・ですとか、想念のようなもので交流して、お互いに会わないようにする、などといったことは、なかなか考えにくいのかもしれません。

 けれども、我々の頃は日常的に行われておりました。なぜかというと、自分たちも自然の一部であって、動物たちも自然の一部、樹木もそう・・・

自然から育ってくるものは、すべてに重要な役割とそれぞれの繋がりがあるのだ、ということを我々は意識して生きてまいりました。

 今回のテーマである、縄文・第一回目の便りとして、当時の印象深い出来事をお伝えいたしました。

 なかなか動物とつながる、他の存在達とつながる、といった感覚は、現代の人達には、理解出来るようでようで、出来ないものかと思います。

 厳しい環境の中で、いわゆる死と隣り合わせ。そういった毎日を送っている人間や動物たちは、一種共通した認識をもっていると思いますので、より一層意識が繋がりやすくなってくるのだと思います。

 

現代はそういった生存に関わるストレスや、切羽詰まっている状態ということは、多くの場合ほぼありませんので、なかなか、そのようなことが分かりにくいのだと思います。ですので、このことを深くお話しするのは、次回以降に差し控えたいと思います。


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