マザーガイアからの便り・本編~ vol.18

マザーガイアからの便り・本編~ vol.18

2017.8.19   マザーガイアからの便り・本編~ vol.18

マザーガイアです。

今回は、自然界のあらゆるバランスをとっている存在達のお話をさせていただきましょう。

それは何一つ欠けてもバランスが崩れてしまいます。現代の用語でいえばオーケストラであるということです。これから秋、夜は虫が鳴きます。その風情、そして彼らの存在意義、このことをほんの少しでもお伝えできればと願っています。

伝え手はカンナ・カムイ。そして協力者とサポート役、今回はこの3名の構成でお届けします。
それでは、カンナ・カムイに引き継ぎましょう。

どのようにお過ごしでしたか、カンナ・カムイです。

マザーガイアからの便り、伝え手はわたくしカンナ・カムイです。そしてサポート役にこの録音では名を名乗りませんけれども、今回は自然界に精通して生きた、二人の女性のスピリットがサポートしてくれています。

それでは、本編・第18回目は「自然界のオーケストラ」そして再び自然の中へ、自分自身を探しにいきませんか、というテーマで始めましょう。

まず初めに、毎回この通信を読んでいる方々、今回初めてこの通信と出会った方々。皆さまに我々霊団から、そしてサポート役の存在からこの言葉を届けさせていただきましょう。

皆さまは、美しい純粋できれいな水の如し、といった性質を持っておられる方々です。その純粋なもの、美しいものを今世どれだけその身体を離れる時まで身に付けているでしょうか。あなた方の判断にお任せしておりますので、この通信をひとつの道のアイテムとして、活かしていただければと願っています。

自然界の成り立ち、発生のおおもとはどのようなものだと思っていますか。まずはキクさん、あなたにお聞きしたいと思います。

回答・キク:発生のおおもとですか。グレートスピリットだと以前あなた方からうかがっていました。

はい。そしてそのグレートスピリットはどんなことを意図しているのでしょうか。

自然界にあるもの、何でしょうか。草花、樹木、土でしょうか。その中にいのちを吹き込んでいく、すべてのいのちを育てるために存在している微生物でしょうか。
このどの一つが欠けても、自然の生態系、そして遺伝的要素を次の世代に繋げていくことが難しいですね。

親から子へ、その子はまた親になっていく。植物であろうが昆虫であろうが動物であろうが、我々人間であろうが、まったく変わりはありません。みんな同等の存在ですね。

ですがそれぞれ移動する範疇、そして得意分野が違います。
これはある意味人間目線からすれば、差別を生む要素かもしれませんね。ですが、差別という言葉はなんでしょうか。なぜ人間は差別という認識が芽生えたのでしょうか。あなたに質問します。

回答・キク:自分より劣っている者、劣っていない者、という思考でしょうか。人間を頂点とした考え方からそれは発生しているのでしょうか。その辺り少し分からないところがありますが。

明確にお答えしましょう。
人間の素晴らしい素質。それは己を知り、内観し、そして思考しながら相手のことを理解する・・・この性質が人間特有のものです。このことはよく分かりますね。

ならばその理想的なものはどうでしょう。両極の左右の間に、鋭い切れ味の刃があるとしましょう。これは使い方によっては、理想的なものになり、対極だと理想的ではないものになってしまう。これが人間に託されている判断材料です。

ですので、差別というものは、調和の対極に位置する意味を持っているということです。
この言わんとする意味をご理解いただけますか。

差別という言葉が悪いわけではありません。人間が判断する、そしてその判断は良い・悪いではなく、理想的ではないのか、理想的なものは何なのか、といった判断になります。

そしてこの世界、調和しながら助け合いながら延々と続いていく物語があるとこれまで何度もお伝えしてきました。

さて、虫の声はどのように聞こえますか?

回答・キク:癒しですね。

この日本人に関してはですね。他の国でもそのような認識はありますけれども、また日本人は違う感性をもってあらゆるものと繋がろうとしています。
これは、人間の素晴らしい感性を日本人は持っているということです。責任があるのですよ。

そしてあらゆるものが発している振動数であったり、耳で聴き取ることが出来る声であったり、想念であったり。この世界はすべて関わり合いながら、支え合いながら、存在しています。

これをあなた方の言葉で言うと、そう、あらゆる楽器が調和しているオーケストラと位置付けましょう。オーケストラはどのようなことで成り立っているか、キクさん、あなたの知り得る範疇でいいので答えてみてください。

回答・キク:たくさんの楽器があり、一つ一つの楽器が異なったメロディを奏でます。そのすべての旋律が組み合わさってすばらしい曲となり、演奏されます。

では、土の中に存在している微生物は、楽器に例えるとどのようなパートを担っているでしょうか。

回答・キク:これはもう直感で、ボン、ボン、ボンというようなリズムですね。

はい。リズムを取るのに大切な要素ですね。打楽器としましょう。では草花はどのような楽器でしょうか。

回答・キク:繊細なメロディを奏でます。これがいわゆるバイオリンのようなものでしょうか。主旋律を奏でるという。

そうですね。きれいな高音。すばらしいではないですか。そして次、虫や鳥の鳴き声、羽ばたきの音はどのような楽器でしょうか。

回答・キク:吹いて奏でる楽器や、主旋律を担うそれ以外の楽器ではないでしょうか。

そうですね。筒状の中に空気を吹き込んで奏でるその振動数、そしてバイオリンより少し大きな領域を奏でる弦楽器ではないでしょうか。

では大型の哺乳類たちはどのような楽器でしょうか。

回答・キク:コントラバスという、バイオリンの形の一番大きな弦楽器が浮かびましたが。わたしの直感は合っていましたか。

合っていますね。あともう一つ付け加えるならば、大きな打楽器ですね。ドン、ドンと自分の存在意義を他の存在達に知らしめるという。

回答・キク:アフリカにいるような大型哺乳類ですね、まさしく。

おもしろいでしょう。楽器を自然界の存在に置き換えてみると。そして、次に話を移ります。

では、空を舞っているもの、大きな生命力に溢れているような樹木、鉱物の役割はどのような楽器に例えることが可能でしょうか。

回答・キク:それも、大型哺乳類と同じような楽器ですか?

はい。意外と、ピアノですとか、そのような楽器ではないでしょうか。どこまでも音が響いていく。そして、感性に働きかけるような音階をピアノは持っていませんか?

次に人間の役割はなんでしょうか。

回答・キク:そう聞いたとたんにわたしは、人間の役割をオーケストラの楽器に例えることが、自然界の他の生き物達のように思い浮かばないのはなぜなのでしょうか(笑)

人間の役割は指揮者であります。本来はそれだけ人間の役割は大切なのですよ。
ネイティブアメリカンは、その答えを後世に伝えていますね。
人間は決して選ばれし者ではありません。責任感が伴う存在です。いまの時代は理想的でしょうか。

回答・キク:近代ではオーケストラのメンバーを調整しようとすることもありますね。

調整するのは悪ではありませんけれども、その他の存在の役割をちゃーんと理解しながら、その生態をおびやかさないで導くのが人間の役割ですね。

質問・キク:指揮者というのは、勝手に団員を排除したりしてはいけない訳ですね。オーケストラが成り立たなくなってしまいますので。ひとつのパートが絶滅したりすると(笑)

そうですよ。ではおさらいです。土の中の微生物が発している波動、それは本当に耳を澄まさなけれな聞こえてきません。いわゆる神聖な言葉なのかもしれません。

そして小さくずうっと同じハーモニーを奏でている存在達。

またそのハーモニーをリズムに合わせ、自分のパートを力強く現す、そして秩序を持って全体のバランスを取ろうとする存在達。そのようなものはこの自然界に存在しますね。

微生物があり、水があり、風が吹き、太陽の光がこの地球に注がれる。それをエネルギーとしながら大小の動物、草花、樹木、爬虫類や昆虫。あらゆる大きさの哺乳類、魚類・・・総てが存在してこの星の歌、リズムが成り立っているのではないでしょうか。

まさにこの地球は大きな大きな共同体のオーケストラであるということです。音楽団ですね。すべての存在は音を発しています。すばらしいですね。

我々のようなスピリット界の存在は、そのオーケストラの観客です。
美しい演奏かな、どこかバランスを欠いていないかな、ああここのパートはきれいだな、でもここのパートは少し悲しそうだな、本来の環境とは違うのではないのかな、というように我々スピリットの観客は感じていますよ。

キク:そうですね。たまにわたしも感じますよ。

さあ、あなた方の大切な物語は、このオーケストラを理想的な形にもう一度育て上げて、組み換えることを学習として経験していくことではないのでしょうか。

悪という概念はそこには存在しません。誤りだ、過ちだったという概念はありますけれども。
人間味を備えた人間という素質をお持ちの皆さんが、どのような持ち味を出していくでしょうか。また、どのような理想的な判断を、相談しながら、打ち合わせながら、失敗を次の教訓に活かしながら今現在もこれからも進んで行きますか。

環境破壊、それも無ければ分からないこともあったのではないですか。傷つけ、殺め合う経験、これも大切な歴史の教訓でしたね。ですがもうこれからは、そのような争い、小競り合いがなくなることはありませんが、いまよりはるかに少なくすることは可能です。

わたくしたちは、観客として、あなた方の演奏を聞くものとして、素晴らしいものを届けて欲しい。出来るだけ良い判断、良い演奏をして欲しい。そのように切に願っています。
もう、今日はすべて伝えることは全てお伝えすることが出来たと自負しています。

皆さま、今回の通信、聞いていただき、読んでいただき、感謝しています。少しでもあなた方の素晴らしい感性に届けば、我々のこの役割は完成します。

ありがとうございました。また、お会いしましょう。


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