マザーガイアからの便り・本編~ vol.15

マザーガイアからの便り・本編~ vol.15

2017.6.17 マザーガイアからの便り・本編~ vol.15

こんにちは、マザーガイアです。

本日は、樹と精霊をテーマにしています。そしてその樹と精霊にまつわる我々スピリットの役割、あなた方現代に生きる人間との関わり方、その理解力の向上といった内容で、お伝えさせていただきます。

7月、8月と幾分長編になる予定ですので、この6月の最後の我々の通信は、少し短いメッセージをお届けしたいと思います。

 伝え手は、カンナ・カムイです。今回のソースはカンナ・カムイ、彼自身にお任せいたします。なぜならば彼は樹木、そして自然界の精霊と縁が深く、人間として生きた時代もつながることを行っていたものですから。(約6000年前の縄文時代、北東北での神官として生きた時代)

では、本日も始めましょう。

 

こんにちは、カンナ・カムイです。

今日はわたくしが約6000年前、縄文の頃に自然と交流していた話を、物語風にお話しさせていただきますね。

そしてまず、この通信を読んでいるすべての方々に、このようなメッセージをお伝えいたします。

みなさんは、ご自身の人生の物語をおおまかにではありますが、理解なさっている方々です。そしてあなた方が自然に触れた時、庭の草花、そして街路樹、そのようなものと常に日常的に交流できる素質を持っている方々です。どうぞわたしの言葉を心の残ったものだけで構いません。素直に受け止められ、日頃から自然との交流をなさっていただきたいと切に願っております。

では、マザーガイアからの便り、本編・第15回目を始めましょう。

前回に続き、今回は樹木という種類に限定して、それを司り見守っている精霊のみなさま方、そしていま現在生きておられる人々の関係性といいますか、今現在生きている人々に対する、自然界からのメッセージのような内容も織り交ぜながら、お伝えさせていただきます。

では、本日もまず審神者であるきくさんに、お尋ねさせていただきましょう。あなたは樹木と聞いて、どのような樹の種類が思い浮かぶでしょうか。何種類か思い浮かぶ種類を聞かせてください。

 

回答・菊地:ミズナラ、栗、杉、けやき、桜・・・などですね。

 

はい、美しいですね。今あなたが話した樹の種類は、古い種に属しておりますね。縄文は栗の文化です。そしてドングリの文化でもあります。桜は美しい花びらを我々に教えてくれました。当時の桜は今の桜とは違い、とても小ぶりな花を咲かせていました。山桜です。

我々の頃は樹を植樹する、植えるという事ではなく、自然が育てているものという認識でした。自然の秩序、そして物語があり、それを反映するのが樹の役割だったと思われます。

樹には各種本当に素晴らしい役割があり、精霊の方々もその背後にいらっしゃいました。今現在でもおりますけれども。

当時は、精霊と我々との本当の交流が、現代の人々よりはるかに出来ておりました。

その中でわたしのような役割の者を介しても、時にメッセージを地域の人々にお伝えしていました。自然の神秘、自然への畏怖の念を当時の人間は現代の人間よりはるかに深く理解していたものです。

当時の、今で言う縄文に属する性質の人々は、そのような感覚を自然に身に付けておりました。自然と交流するということにおいて、素晴らしい黄金期のような時代でもありました。

あなたはその時代のことを想像できますか。このカンナ・カムイが生きた頃の北東北の物語でございます。

 

回答・菊地:いまもその地方に、そのようなエッセンスが息づいている感覚が、よく分かるといったところです。恋しい、懐かしい、郷愁のような。でもそれはごく自然に根差しているエッセンスといいますか。これは肌で感じる感覚、といった方が正確かもしれませんね。

 

そうですか。素晴らしい感覚ですね。我々は自然に畏怖の念を持っているというより、一体であった、ということです。自然の摂理の一部の種類であるということです。そのことを我々の民族はよく理解しておりました。これは世界中の民族でも、非常に稀な民族だと思われます。

 

質問・菊地:いわゆる日本の北の地での縄文・自然信仰は、そこから生まれているのですね。

 

そうでございますよ。当時は本当に精霊と交流することが出来る人々がたくさんおりました。わたくしはあえて神官と名乗っておりますけれども、部族の代弁者というような位置づけでした。ですから何も特別な存在ではなかった、ということでございますね。村長(ムラオサ)のような役割も担っておりましたので。

では本題に取り掛かっていきましょう。

樹木の中には、実をつける樹木、そして実はつけないもの、花を咲かせる樹木。たくさんの種類があります。そして自然界の摂理、その摂理の背後にある、我々人間の目には見えない魂の世界、スピリットの世界・・・

そのスピリットはどこからやって来ているのか、ということまで我々の時代、ある意味理解しておりました。そうでなければあのような文化は発生できませんでしたね。土偶にしてもそうです。あらゆる出土品が物語っております。

ここでたくさん枝分かれさせた内容でお伝えすることは、あえて控えておりますけれども、おおまかに言えば、樹の種類によって当時、我々の生活の営みが守られていたという事です。

 


樹は、我々部族の母親のような役割を担っておりました。絶えず樹に対して感謝しながら、我々の棲家の一部になる時も、誠心誠意全霊を尽くして交流しながら、「いただきます、お預かりいたします」といった思いを込めて使っておりましたが。

今はそのような志が非常に薄らいでいて、我々も残念に思っております。ですが、この我々の思いは、一部の地域にまだ根差しております。何処か、あなたはおわかりですか。

 

質問・菊地:例えば、先ほどお話しされた地域などですね。

 

はい。まず、木の実がなって我々の食料になり、そして自然界に生きる我々の仲間、動物や鳥、虫たちが木の実を食べて生命をつないでまいります。

その物語がなければ、自然界に感謝の気持ち、樹木の尊さ・・・といった心が芽生えません。自然の中には、すべての存在に対して用意された、グレートスピリットの計らいが存在しています。それが木の実の成る樹木の役割です。言い換えればそうですね、母親のような存在でございますね。

もう一つ、木の実を持たない樹もありますが、それは宿り樹のような、我々を含め生き物たちの身を守る家をつくる素材にもなりうる、自然界での大切な役割を持っています。傘のような役割をして一年中、その下の生き物たちを守りながら、周りの環境を整えるといった役割。この2種類の樹の存在があります。

そして、木の実を付ける樹は、必ず花が咲きます。その花は山の色彩を彩りながら、今で言うならば美しい極楽浄土のような、天界のような雰囲気を醸し出しておりました。天界というのは、何もないところではございませんよ。色彩が豊かで美しいところです。イメージできますか。

そしてあなたが先程言ったナラの樹。ナラは、自然界の中で少しでも長く身体を温めるもの、薪などに適した樹でした。ナラは、ドングリの実をつけます。

ナラはまた、現代で言えば、ダムのような役割をしております。他の樹よりも数倍、水を貯えることが可能でした。それは、山の自然の火災を抑える働きもありました。我々は、そのようなことを自然の精霊の方々から知恵を借り、我々の生活、部族の繁栄に使わせていただいていたのですよ。

それが自然と色濃い関係性をもった部族、我々の存在であります。

そして似たような性質を持った部族は、世界中に何か所かおりました。あなたもご存じのように。北米大陸にいた方々もそうですね。そのような部族がこの世界にはたくさん存在しております。付け加えるならばオーストラリアの原住民のアボリジニの方々もそうですね。彼らはアフリカ大陸から発生した方々です。そして以前お話ししましたけれども、この地球の影響だけではない、発生のルーツもありますという事です。

このように、この惑星地球には、樹がなければこの自然の生態系が維持できませんし、そこに暮らす我々人間を含めたあらゆる生物は存在も出来ません。

この現実、この在りかたをもっといま生きる方々に理解していただきたいものでございます。必ず自然界の背後には、我々の想像を超えた、高尚で慈愛に満ちた存在がいるということ。精霊ですね。その存在がいなければ、この生態系の維持も出来ません。わたしは当時神官として40数年仕えましたけれども、そのようなことを肌身に染み、本当に理解させていただきました。

この経験はわたしのスピリットに対しても、沢山の遺産を残しました。その後の人生は人間として生まれるのではなく、このような役割を進んで担おうと誓った最後の人間としての経験でありました。

 

ここで同じ性質を持った種族の末裔の一人として、あなたからの質問をいただければと思いますが。

 

質問・菊地:カンナさんは、当時実際に精霊の姿を見ていたのでしょうか?当時のお話しも少し聞かせていただければ、何かと様子を想像出来そうです。

 

わたくしが自然の背後にいらっしゃる素晴らしい存在、精霊という名前で位置づけましょう。彼らと交流するには、このような決まりごとがありました。

決して人には口外しないということ。そしてその姿は当時の我々が理解の出来る範疇でその姿を見せてくれるということです。これは国や文化が違えば、違う姿となって見えるという事ですね。

当時は、丸い球のような形をした、色彩豊かなそうですね・・・赤や緑や青、黄色、そして金色ともいえる球で見えておりました。わたくし自身の話です。

それはお祭りのようものでしたよ。きらびやかで美しく、時には鳥が飛ぶように雄大な姿を見せてくれる時もありました。

本当に〇〇(なになに)の化身のようには、わたしは見えませんでしたね。それは当時の部族の我々が、そして私個人が認識できるものだったのでしょう。

そしてこのように、ある部族の女性の方が言っていました。

何やら、羽をはやした自分の幼い娘のような姿で見たことがあると。鳥のような、人間のような。そのような姿で見たことがあると、当時その女性の方が言って居りました。

「ほう、それは紛れもなく精霊の存在なのだな」とわたしは理解しましたけれども。女の子のわらべの姿に鳥の羽が生えていた。決して白いわけではありません。鷲のような、鷹のような、猛禽類のような羽をはやしたわらべが飛ぶ姿、そしてこちらを見ている姿を何回か見たとわたしに伝えましたね。それもなにやらうれしそうな笑顔で話してくれました。

 

そして我々の部族は、視覚的に見るのではなくて、感覚的に感じる方がたくさんいましたね。いま空気が変わった、風が自分たちの間を流れていった・・・これは精霊のみなさんが通って行ったのだな、との意味合いで彼らの存在を認識しておりましたよ。

この話にみなさん興味があるか、面白いのかわかりませんけれども。当時の我々の認識です。いかがでしょうか。

質問・菊地:ありがとうございます。そしてわたしも、風がいま自分の周りをぐるっと取り巻いて行った、と感じたことがありますよ。

 

はい。そして何か、触れられた、といった感じもそうでしょうね。
当時わたしは神事にまつわっている時は、先ほども申したような毬藻のような形の精霊を、色彩豊かな色で見ておりました。そのようなものを見ていると、こちらもうれしくなってしまうのですよ。お叱りの言葉などは一度も受けたことがありません。たえずそのままでよい、といったイメージが、当時の言語で伝わってまいりましたけれども。

今日はこれまでと比べて少し物足りない内容かもしれませんが、本日はこの辺でおいとまさせていただきたいと願います。また来月お目にかかりましょう。 


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