マザーガイアからの便り・予告編vol.7
2016.11.19 マザーガイアからの便り・予告編vol.7
「縄文(その2)自然信仰のはじまり」
こんにちは、カンナ・カムイです。
本日も、約6000年前に暮らしていた頃の生活様式を、一つの物語としてお伝えいたしましょう。わたくし、カンナ・カムイが暮らしていた頃からのお話、そして現在にもつながる話、この2つの構成でお答えしてまいります。本日もよろしくお願いいたします。
まずは、我々のほんの少し前の、祖先の方々の時代に遡った物語から、始めてまいります。自然の背後には、高尚なスピリットのような存在達が存在するという事を、まだ知らなかった時期の話です。
わたしのおじいさんの代まで、つまりわたしの代からおよそ100年程度前に遡る話です。
我々が神官(人間と自然との橋渡しの役割)として、あらゆる情報を自然の中からいただくという形態をとるきっかけが芽生えたのは、おおよそ、わたしのおじいさんの頃からだと思います。この時点ではまだ、あくまできっかけということですけれども。
それ以前までは、その日暮らしのような・・・自然や樹、生きものなどは、採取の対象物として以外の認識はしていませんでした。おじいさんの代は、意識転換の芽吹きとも言える時期であり、大きく変わったきっかけとなったのは、わたくしの父親の世代の頃の話でございます。
わたしの父親も、部族の中では、俗に言われる、神官とまでは言わないまでもそのような認識を持った人間だと理解されておりました。
その遺伝的な要素があり、のちにわたしも部族の神官としての役割を担っておりました。
父親の口伝えで話されたことの中に、このような物語がありました。その頃は本当に食べ物に苦労していました。現代で言うと、時期にすれば今で言う9月の頃の話でしょう。
ある年、実りが多かったはずなのですが、長雨の影響で多くの作物が途中でなくなってしまい「これから冬を越すのに、どのようにすればよいのか・・・」ということが、我々の部族の中で話し合われました。
ひとつは、居住地を場所を移動するか、もう一つは、何か違う食べ物を探すか、あるいは、狩りをもっとしながら保存食を得るか・・・ついには山のバランスを崩すことも話し合われました。これは、例えばウサギだけ、同じ木の実だけなど、一つの種だけを大量に採って、その地域の山の生態系を変えてしまうよう事です。
その頃我々は、一つの種だけを乱獲すると、生態系のバランスが崩れることを、理解し始めていたのです。これは、種としての生存本能が関わる時、本能的に生態系全体のバランスを欠いてはいけない、という感覚が湧いてくるはずです。
自然界では皆その素質を身に付けております。野生動物であれば、自分の必要分だけを、自分の生存を脅かさない程度に採っていますね。現代の人間だけがそれを難しくしているのではないでしょうか。
このように、現代で言えば本当に計画的に、日々の生活を営んでいた我々の部族でした。
さて、その食糧難になってしまった年、山で食べ物を採取しながらわたしの父親である人物が、何を思ったか突然、大きな樹木の前で祈りを捧げたそうです。
「我々部族、この自然の恵みで命をつないで参りましたが、今年は本当にそれが厳しい状態におちいっております。どうか我々に、暖かくなる季節まで生き延びるための食糧を、どうぞお分けください・・・」というように、その大きな樹木に対して本当に真摯に祈ったそうです。
そして、現代の時間で申せば、1時間少し・・・いっ時、ふた時程度の時間が流れたのだと思います。その時、父親の頭の中にこのような言葉が浮かんだそうです。
それは「海沿いから歩いて行った、少し隔たった小高い丘の、老木の樹の下を掘っていきなさい」という内容でした。その言葉に藁にもすがるような形で、父親たちの部族はその言葉通りに、その小高い丘にある老木の根元を掘っていったそうです。
そこで現在の長イモのようなもの・・・イモですね。その下にイモがたくさん採取できたそうです。そのおかげで、我々の部族はその年の命をつなげた、そういった物語がありました。
それは真摯に祈り、ただ純粋に命を繋ぎたい・・・その思いが通じて、祈りの答えが自然界の神さまのような存在からもたされた、最初の出来事だったそうです。
生き延びたい、これからこの部族の繁栄というものを未来永劫続けていきたい、という願いで起こったのが、自然信仰のはじまりでした。
とにかくその時から「自然の中には計り知れない、現在の言葉に変えるとすれば、何か法則のようなもの、そして意思のようなものがある・・・」と、我々部族の認識が芽生えたのです。
わたしのおじいさんの時代、当初の自然に対する認識としては、森や土や他の動物は採取するもの、食べるもので、その他に何かの働きがあるという事は、まだ毛頭も感じておりませんでした。
ですが、おじいさんの部族の長老のような方が、ある日突然、このようなことを言ったそうです。
「あまり自分たち勝手に作物を採取して計画性がないと、我々はそのうち滅びるかもしれない・・・」といったことを、皆で集まった時の話の中で、ボソリと伝えたそうです。
私のおじいさんの代のその頃から、自然にはもっと言い知れぬような、何かがあるのだ・・・という認識が芽生え初めてきた、そういった時期だったと思います。
それを実際に、自分たちが困った時に自然に対して真摯に祈り、いのちに繋げることが出来たというのは、先ほどお伝えしましたように、父親の代からです。
質問・キク:カンナさんの家系というのは、部族の中でどんな役割を担っていたのでしょうか。
部族の中で、当時はそれぞれ役割分担があったのです。狩りをするもの、森に入って食べ物を集めてくるものなどですね。
私の家系は、現代で分かりやすく言えばマネージャー的存在でした。それを管理するもの、という意味とは違います。当時は管理するという概念がなかったのです。
採取して来たものを、順序良く食べまわす、といった予定を組んだ者。そういった役割に近いでしょう。
質問・キク:自然とつながって伝える、神官という役割は、お父さんが初めて担って足がかりをつくり、部族の中で認識されるに至った、ということでしょうか。
そうですね。お父さんともう一人、他の家系の方で女性の方がいました。分かりやすく現代の言葉にすれば神官なのですけれども、当時の認識で申しますと、詳しく言えばこういったことです。
何か他の見えない存在と繋がって、それを人々に伝えて導くもの、といった存在です。その「何か」が、自然に宿る神さま(スピリット)といった認識がまだなかったもので、我々よりはるかに大きなな存在、という認識のもとで、祈りを捧げ、言葉を戴き、それを理解するための修行を約10年位積みまして、そのような立場になれたということです。
質問・キク:神官という役割が住民の間で認識されたのは、カンナさんが初めてだったのでしょうか。
私の父親と、その他の方でも一部類似する行いをしておりました。しかし私は生まれた時から、そのような遺伝的要素があり、それを理解するといった要素があったため、わたしの代から本格的に、自然や樹、そのような見えないものからの言葉を口伝えで通すもの、伝えるもの、との位置づけとなりました。
それから100年、200年、300年後・・・と、少しづつ時間をかけて役割も認識も浸透していきました。三内丸山という遺跡がありますけれども、わたしの部族はその祖先となった部族だったということです。
そこから自然信仰が初めて芽生えたという事ですね。約6000年ちょっと前の話です。
そして、本日はこれを述べてから終了したいと思います。
この通信の中継局の役目を果たしておりました、ミズナラの樹はもう少しで、おそらく本日の通信でこの役目は終わるかと思います。
大地に帰る日がやってまいりました。最後に、このような役割を果たせたことに対して、ミズナラはとても満足しています。